top of page

小林輝之さんの物語:不安の先に見つけた「みんなで咲く場所」

更新日:2 日前

ree

歩んできた道のりに、無駄はない

福井県坂井市の住宅街。そこに佇む長田工業所の工場は、一見すると他の町工場と何も変わらない。しかし2階に上がると、そこには「アイアンプラネット」という別世界が広がっている。青い溶接の炎、鉄と鉄が出会う音、そして職人さんたちの手から生まれる作品の数々——。


この場所を生み出した小林輝之さんは、かつて自分自身のことを「どこにでもいる普通の2代目」だと思っていた。


「僕1人では、こういう状況にはなってなかった」


小林さんがそう振り返る2014年、zenschoolとの出会いから10年が経った今、アイアンプラネットは全国8拠点にまで広がっている。しかし、この物語の始まりは、一人の経営者の小さな不安と迷いから始まった。


「このままでいいのか?」という問いかけ

家業を継いで間もない頃、小林さんの心には漠然とした不安があった。従業員8名、職人の高齢化、若手人材不足——地方の中小企業が直面する典型的な課題に直面していた。

「これまでと違うことをしなければ」という思いはあるものの、具体的に何をすればいいのかは見えない。そんな時、偶然手に取った一冊の本が『マイクロものづくりはじめよう』だった。


県外に勉強に行くという経験すらなかった小林さんにとって、東京・大森への8日間の通学は大きな挑戦だった。「えいや、という気持ちで乗り込んでいった」と当時を振り返る。


問いかけが生んだ「火祭り」から「日常の祭り」へ

zenschoolでのセッションは、小林さんにとって今までと全く違う思考の世界だった。宇都宮さんからの鋭い問いかけ、三木さんとの対話。そこから生まれたのは「火祭り」というコンセプト——工場をパフォーマンスステージにして、毎日フェスティバルのような場所にするという発想だった。


しかし、発表会を終えた後、小林さんの中で何かが変化した。


「ちょっと無理しすぎかな」


そう感じた小林さんは、改めて自分の工場と職人さんたちを見つめ直した。そして気がついた。「今いる職人さんを一般の人が見るだけで、これは十分フェスティバルなんじゃないか」と。


大げさなパフォーマンスではなく、職人さんたちの日常の仕事そのものが持つ価値。その発見が、アイアンプラネットの核心となった。


クラウドファンディングが教えてくれたこと

卒業から3ヶ月後、小林さんはクラウドファンディングに挑戦した。結果は58万円の支援獲得。しかし、小林さんがそこで学んだのは、資金調達の手法ではなかった。

「実際はもう身内からお金をせびるみたいな泥臭い感じだった」と笑いながら振り返るが、重要だったのは別のことだった。


「やることで、もうやるしかないと。社内に対しても父親に対しても、もう後戻りできませんっていう雰囲気になった」


クラウドファンディングは、小林さんにとって「覚悟を決める儀式」だった。そして何より、全国のテレビで取り上げられることで、初めて外部から自分たちの取り組みがどう見えるかを知ることができた。


会長や職人さんたちの変化

アイアンプラネットの立ち上げで、最も印象的だったのは社内の変化だった。特に、小林さんのお父さん(会長)の反応は予想外だった。


「騙されてないんかい?」


最初はzenschoolの三木さんや宇都宮さんを警戒していたお父さんだったが、アイアンプラネットが始まると「結構ノリノリで先生役をずっと6年間やってくれている」。


若い女性がこんな工場に入って来て、色々教えることができる、会話ができる——それは職人さんたちにとって新鮮な刺激になった。工場の2階部分のスペースを空ける作業でも、小林さんが他の仕事をしている間に、会長中心にどんどん進めてくれた。


「長田工業所の歴史のターニングポイント」となったその変化は、技術や設備の変化ではなく、人の気持ちの変化だった。


「仲間づくり」というフランチャイズ

2018年、アイアンプラネットはフランチャイズ展開を発表した。通常のフランチャイズ事業と異なるのは、その目的だった。


「フランチャイズを広げてうちの売上を増やそうという目的じゃない」


小林さんの狙いは「仲間づくりと業界の知名度向上」。溶接という職業、そこで働く職人さんたちを知ってもらいたい。そのための最低限のコスト以外は求めない——そんな思いから始まったフランチャイズに、予想以上の反響があった。


業界紙「溶接ニュース」に3週間広告を出しただけで、40代後半の2代目、3代目の社長たちから問い合わせが相次いだ。「本当ですか?」「いいんですか?」と戸惑いながらも、小林さんは気がついた。自分と同じような悩みを抱えている経営者が、全国にたくさんいるのだと。


採用から売上へ、全てがつながった循環

アイアンプラネットの効果は、当初の期待を上回るものだった。ブランディング効果により採用がうまくいき、人数が増えることで売上も向上した。


「うちはどちらかと言うと機械に働かせる会社じゃなくて、人に動いてもらって人工仕事が

メイン。人数が増えてちゃんと社員として動くことができれば売上は作れる」


しかし最も重要だったのは、その前提となる「知られる」ことだった。アイアンプラネットにより、これまで知られていなかった長田工業所が地域で認知され、「楽しそうな会社だな」と思ってもらえるようになった。


全国8拠点、それぞれの物語

現在、アイアンプラネットは全国8拠点に展開している。沼津、栃木、三条、青森——それぞれの場所で、地域の鉄工所の2代目、3代目の社長たちが、小林さんと同じような思いを抱えながら、新しい挑戦を始めている。


新潟三条の徳永社長は「下田地域の空き家問題や、技術があるのにつぶれる会社の課題を解決したい」という思いでアイアンプラネットと出会った。青森津軽の長谷川社長は「溶接をもっと身近に、生活の中にもっと鉄を」というコンセプトで地域のファンづくりに取り組んでいる。


コロナ禍を経て、オンラインでのフランチャイズ指導という新しい挑戦も始まった。「できれば1回は行きたいけれど」と言いながらも、小林さんは全国の仲間たちをサポートし続けている。


地域創生から世界展開へ

アイアンプラネットの効果は、個々の企業を超えて地域全体に波及している。地元メディアでの紹介、テレビや新聞での取り上げ、そして何より「お客さんがお金を払ってでも溶接を体験に来る」という事実が、製造業で働く人たちに新しい誇りを与えている。

津軽のベースオブでは、ふるさと納税の返礼品として溶接体験が採用され、JR五所川原駅の改修プロジェクトにも参画している。それぞれの場所で、アイアンプラネットは地域とのつながりを深めている。


宇都宮さんの「アイアンプラネットを世界中に広げて」という言葉に、小林さんは笑いながら「はい」と答える。それは単なる事業拡大ではなく、ものづくりの価値を世界に伝えたいという思いからだった。


続けることの力

「たぶんお二人みたいに、あんまり無理をしないっていう感じで続けられた」


10年間を振り返って、小林さんがそう語る言葉には、深い学びがある。華やかなイベントやキャンペーンで一時的に注目を集めるのではなく、「問い合わせがあったら対応する」というスタンスで地道に続けること。その継続の力が、今の広がりを生んだ。


コロナ禍での半年間の自粛期間を経て再開した時、10組の予約が入った。「そんなにニーズがあったんですね」という三木さんの言葉に、小林さんは少し驚いたような表情を見せた。


「無茶振り」から生まれた可能性

クラウドファンディングの達成セレモニーで、宇都宮さんから「誰か有名な人呼べないんですか?」と言われた小林さんは、「奇跡的に」市長を呼ぶことができた。


「僕1人ではそういう突拍子もない発想の飛ばし方とかできなくて」


zenschoolで得たのは、ノウハウやテクニックではなく、新しい視点と「無茶振り」を受け止める勇気だった。そして何より重要だったのは、その過程で自分が「思ってもないところにいける」という体験だった。


今も続く探求の旅

アイアンプラネットの成功は、小林さんの探求の終わりではなく、新しい始まりだった。地域の課題、業界の未来、若い人たちへの技術継承——考えるべきことは尽きない。


2024年、青森の「ベースオブ津軽」では、日本一の民謡歌手かすみさんが青森放送の取材でホタテ型トレーを製作した。2025年の年賀状では「MAKEJAPANGREATAGAIN」のメッセージを掲げ、「モノづくりの力で日本をもっと輝かせたい」という思いを表現した。


小林さんの物語は続いている。一人の経営者の小さな不安から始まった取り組みが、今では全国の仲間たちと共に、ものづくりの未来を切り開こうとしている。


エピローグ:歩んできた道のりに、無駄はない

「これまでの経験で、一番『自分らしい』と感じた仕事は何ですか?」


もし今、誰かが小林さんにそう問いかけたら、彼は迷わずアイアンプラネットのことを話すだろう。しかし同時に、zenschoolで過ごした8日間のこと、宇都宮さんに「詰められた」記憶、三木さんとの対話、そして何より、最初は怪しがっていたお父さんが今では一番の協力者になってくれたことを、きっと話すに違いない。


40代の中小企業経営者として抱えていた不安、県外に勉強に行くという初めての体験、「火祭り」から「日常の祭り」への気づき、クラウドファンディングでの学び——その全てが今のアイアンプラネットにつながっている。


歩んできた道のりに、無駄はない。小林さんの物語は、そのことを私たちに教えてくれる。


2014年のzenschool卒業から10年。小林輝之さんの探求の旅は今も続いています。

コメント


bottom of page