

富士通でキャリアを積み、ITベンチャーの役員も務め、順風満帆に見えた道。
しかし、その道は突然、足元から消えました。40代で経験したリストラです 。
社会的な役割、自信、それまで信じてきた価値観のすべてが揺らぎ、「自分とは一体、何者なのだろう」という問いだけが、暗闇の中で渦巻いていました。
その答えの見えないトンネルの中で私を救ってくれたのが、毎朝の坐禅でした 。誰かと比べるのでもなく、何かを達成するのでもない。ただ静かに自分と向き合う時間の中で、初めて自分の「内なる声」に耳を傾けることができたのです 。
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第1章:地図が消えた日
三木の物語
自分は何者なんだろう」― すべてを失った場所から見えた光

宇都宮の物語
「心の声に、蓋をしていた日々」― 40歳、安定の先で見つけた本当の問い
大手自動車メーカー・スズキで18年間、生産技術のプロとして没頭する日々。安定したキャリアでしたが、組織の論理の中で次第に自分の感情に蓋をするように。表立って衝突せず、言葉を飲み込み従ううちに、心が静かにすり減っていく感覚がありました。
その声にならない葛藤が「自分は、本当は何がしたいんだ?」「何のために生きているんだろう?」という問いを突きつけ、40歳のとき、安定を手放し、自らの「ワクワク」だけを頼りに答えのない道を歩き出すことを決意したのです。
第2章:二つの道のりが交わる場所
enmonoの誕生 ― ゼロになった日から、始まったこと
ITの世界で「無」になった三木と、製造業の現場で「問い」を抱え続けた宇都宮。異なる道を歩んできた二人の道のりが予期せず交わったのは、勤めていたITベンチャーでした。そして皮肉なことに、その会社で二人同時にリストラに遭ったことが、enmonoの直接の出発点となりました。
社会的な立場を失い、まさにゼロからの再出発を迫られる中、三木が宇都宮を誘いました。「一緒に、何かを始めないか」と。
そこに、世界を救うような壮大な計画があったわけではありません。あったのは、**「もう一度、自分たちが本当に面白いと思えることを、自分たちの手で作りたい」**という、切実で個人的な想いだけでした。
「人のご縁で、モノづくりをする」。社名に込めたのは、そんな自分たちのための誓いでした。そして「ワクワクするモノづくりで世界が元気になる」という言葉は、まず私たち自身が元気になるための、道しるべだったのです。
2009年11月11日。enmonoの歴史は、一つの終わりから始まった、私たちのための再起の物語です。
第3章:試行錯誤の時代 ―「ご縁」を頼りに進んだ道

自分たちの「好き」を信じて。でも、現実は甘くなかった。
2009年11月11日。リストラを機に、三木が宇都宮を誘う形でenmonoは始まった。特別な事業計画があったわけではない。「人のご縁で、モノづくりをする」という社名に込めた想いと、自分たちの「好き」という感覚だけが羅針盤だった。
しかし、現実は厳しい。これまでの経験を活かそうと、製造業向けのコンサルティングやIT支援を手がけるものの、心の底から「これだ」と思えるものには出会えない。本当にやりたいことは何なのか? 日々、自問自答を繰り返す中で、見えてきたのは、多くの人がかつての私たちと同じように、組織の中で自分の感情や感覚に蓋をしている現実だった。
そんな中、唯一の希望は人との「ご縁」だった。様々な経営者や技術者と出会い、語り合う中で、私たちは少しずつ、進むべき道の輪郭を捉え始めていた。
第4章:zenschoolの誕生 ― 私たちが本当に作りたかった「場」

教えるのではない。ただ、内なる声に耳を澄ます「場」をつくる。
多くの出会いと試行錯誤の末、私たちは一つの結論にたどり着く。私たちが本当にやりたかったのは、ノウハウを教えることではない。一人ひとりが、自分自身の内なる声に耳を澄まし、「本当にやりたいこと」を見つけ、それを形にしていく。そのプロセスを、心理的な安全性の中で伴走することだ。
この想いが結晶となり「zenschool」は生まれた。かつて組織の中で自分の心を押し殺していた私たちだからこそ、作れる「場」があるはずだ。そこは、誰かに評価されるためではなく、自分自身の「ワクワク」を探求するための聖域。
一人ひとりが持つ内なる情熱(ワクワク)が、ご縁の力で形になっていく。その小さな成功体験が、次の一歩を踏み出す勇気を育んでいく。zenschoolは、そんな好循環を生み出すための、私たちの答えだった。
第5章:そして未来へ ― ワクワクするモノづくりが、世界を元気にする

世界を「元気にする」のではない。世界が「元気になる」のだ。
zenschoolを始めて、私たちは確信したことがある。
人が本当に「ワクワク」することに取り組むとき、そのエネルギーは自然と周りに伝播し、世界を少しずつ元気に変えていく。私たちが能動的に何かをするのではない。一人ひとりの内側から湧き上がる情熱が、勝手に世界を元気にしていくのだ。
私たちの役割は、その最初の火種を見つける手伝いをし、燃え上がらせるための安全な「場」を提供し続けること。
これからも私たちは、一人でも多くの人が「自分の人生を、自分の足で歩んでいる」と実感できる社会を目指して、この「場」を育んでいく。
私たちが大切にしてきた「内なる声に耳を澄ます」というアプローチは、今や国際的な研究でも注目されるようになりました。禅の伝統と現代のリーダーシップを結ぶ探求が、世界の研究者たちとの協働にも発展しています。
ご縁に導かれ、答えのない道を歩み始めた私たちの旅は、まだ始まったばかりだ。