50歳、役員を辞めた。その先に見えたのは?
- 三木康司

- 9月1日
- 読了時間: 3分

「30年やってきたけれど、これでいいのかな?」
IT企業で役員を務めていた小野勝秋さんは、50歳を前にそんな葛藤を抱えていました。会社は古い体質のまま変わらず、自分1人では周りを動かす力もない。世の中は変わっているのに、自分だけが取り残されているような、そんなもやもやした日々。
サラリーマンとして順調なキャリアを歩んできたはずなのに、心の奥底にある違和感。多くの人が感じながらも、見て見ぬふりをしてしまう、その感覚。小野さんは、それと正面から向き合うことを選びました。
忘れていた「ワクワク」を取り戻す
2014年、小野さんはzenschoolの扉を叩きます。
「自分が本当にワクワクすることをやろう」
その言葉は、小野さんの心を大きく揺さぶりました。振り返ってみると、いつの頃からか完全に忘れていた感覚。それは、50年近い人生のどこかで置き去りにしてきた、大切なものでした。
「ガツンと頭を殴られたような衝撃でした。これを見つけないと、つまらない人生になってしまう」
プログラムの発表会で、小野さんは驚きの告白をします。「来月か2ヵ月後に、会社を辞めます」。周囲は驚きました。zenschoolは決して退職を勧めるわけではありません。しかし小野さんは、自分で「退路を断つ」決断をしたのです。
予想外の紆余曲折
退職後の道のりは、決して平坦ではありませんでした。
墨田区の助成金審査では、「目立ちたい」一心でどピンクのつなぎを着て役所に向かい、業者と間違われてドン引きされる始末。収入源がなくなり、不安と焦りばかりが募る日々。「まずいな、これ」と思う瞬間が何度もありました。
それでも、小野さんは歩みを止めませんでした。偶然の出会いから、コーヒー屋で働き始めたこと。メルカリで「コーヒーレンジャー」として焙煎豆を販売し、予想外の反響を得たこと。葉山の空き家改装プロジェクトに参加し、200人の仲間とともに「大人の秘密基地」を作り上げたこと。
そして気づいたのは、「安定収入があったほうが、かえって自由に動ける」という意外な真実でした。小野さんは前職に一般社員として復帰します。プライドを捨て、柔軟に生きる道を選んだのです。
たどり着いた、新しい生き方
インタビュー時、小野さんは平日は東京で会社員として働き、週末は葉山ファクトリーでコーヒーを焙煎し、漫画図書館を運営していました。横須賀線に揺られながら、スマホでメルカリの注文に対応する日々。
「物を買う喜びや所有する喜びには、もう興味がなくなりました。それよりも、作ったり、みんなで何かやったりするほうに、気持ちが変わってきたんです」
かつてのゴルフ接待やビジネスライクな人間関係とは違う、心から楽しめる仲間たち。誰に気を遣うわけでもなく、自分のやりたいことをやる。そこに面白いと思った人が絡んでいく。そんな心地良い関係性が、葉山ファクトリーには生まれていました。
「お金がなくても、ここに来れば生きていけるような場所にしたい。みんなで色んなものをシェアできる空間。それぞれのスキルもシェアし合えたら、面白いと思うんです」
zenschoolで見つけた「ワクワク」は、紆余曲折を経て、確かな形になりつつありました。
この物語の続き
50歳で会社を辞め、失敗と挑戦を繰り返しながら、自分らしい生き方を見つけた小野さん。その探求の旅の全編は、noteの詳細記事でご覧いただけます。
ピンクのつなぎで役所に乗り込んだエピソード、メルカリで1,200件の好評価を得るまでの試行錯誤、そして「人生100年時代」を生きるヒント。さらに詳しい物語が、あなたを待っています。
















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