17年のブランクを経て、父の町工場に戻った男が問い続けたこと
- shigeru.utsunomiya

- 9月1日
- 読了時間: 3分

「モノづくりよりコンピュータの方がいいな」
大学で機械を学んでいた川田俊介さんは、卒業時にそう決めた。時代はコンピュータブーム。選んだのは、システムエンジニアの道だった。
17年が過ぎた頃、父が70歳を超えた。「川田製作所をどうするんだ」──問いが突きつけられた。神奈川県小田原市にある、精密プレス加工と金型製作の町工場。社員28名、その半分以上が60歳以上。父が昭和44年から続けてきた会社だった。
「今更だけど、モノづくりの方に入ろう」
決断はした。けれど、心の中で繰り返し問いかけていた。
「町工場で、自分ができることは何か」
一冊の本が、町工場の可能性を開いた
2012年10月末、川田さんは『MAKERS』という本に出会う。3Dプリンタが、これからのモノづくりを変えるかもしれない──そう直感した。
本を読んで、わずか1週間後。川田さんは3Dプリンタを注文していた。パソコンを買うような感覚で。プレス金型屋にとって、真逆の技術だった。けれど、可能性を感じた。
そして2014年4月、「出張まち工場」という活動が始まった。
月に一度、小田原の「カミイチ」というハンドクラフト市に、3Dプリンタや刺繍機を持ち込む。子どもたちが目を輝かせて機械を見つめ、お父さんやお母さんが「3Dプリンタを初めて見た」と驚く。
子どもが描いた絵をTシャツに刺繍する。3Dプリンタで小田原城のミニチュアを作る。8月には工場で親子向けワークショップを開き、クッキーカッターを一緒に作った。応募から1週間で満席になった。
町工場の技術が、地域の人々と繋がり始めた。
「可能性は無限大」──小さな会社が描く、大きな夢
「下請けからの脱却、海外進出、技術を極める──それが中小企業の生き残り策だと言われますが、もっと多様な形があっていいんじゃないか」
川田さんの言葉には、確信があった。zenschoolを卒業し、自社商品開発に取り組む仲間たちとの出会いが、大きな刺激になっていた。
「我々のような小さな会社でも可能性は無限大で、やろうと思えばいろんなことができる。それは、zenschoolに入ったことがきっかけになっています」
この時、川田さんは次の挑戦を計画していた。キャンピングカーを改装して「モノづくり体験型の出張カー」を作り、もっと多くの場所に出張したい。クラウドファンディングで支援を募る準備を進めていた。
「小田原という都会ではない地域で、『地域のための町工場』を目指したい。それぞれの会社なり個人が、それぞれの地域や技術で楽しいモノづくりをしていったら、日本のモノづくりはもっとぐちゃぐちゃした、ワクワクする感じになっていくんじゃないでしょうか」
17年のブランクを経て戻った町工場で、川田さんは自分なりの答えを見つけ始めていた。
この物語の続き
「町工場で自分ができることは何か」という問いから、川田さんがどのように「出張まち工場」という独自の道を切り拓いていったのか。その探求の旅の全編は、noteでご覧いただけます。
















コメント